連日氷点下の朝に身が縮んでいますが、ふと庭の木々に目を遣ると、
なんと!柔らかな新芽がもう育ち始めてるんですね。
2,3日もすると、2倍に膨らみ、色も濃くなり、
成長の速さに改めてびっくりしています。
その姿に子どもの成長が重なります。
私は週2,3回ペースで実家に、介護の手伝いに通っています。
近所に住んでいる姪の子ども達がよく訪ねて来てくれます。
来たら休む暇なく遊んでいます。
小さい頃は「みてー!」の嵐。
絵を描いたら「みてー!」
折り紙で何か作ったら「みてー!」
途中でできなくなったら「きてー!」
でんぐり返りができたら「みてー!みてー!」
トイレに行くときは「みててー!」
小学生になり、最近は少なくなりましたが、
「見てー!」の思いは変わらないようで、
得意な絵など描いた時には「見て!」と持ってくるし、
そうでなくても「見せて頂戴」と頼むと
ちょっと恥ずかしそうに見せてくれます。
「ここの所ちょっと色を変えたのが活きてて好きだな」など言うと乗ってきていろいろ解説してくれます。
何か一心にやっているのをじーっと見ていると、
チラッとこっちを向いて、微笑んで見ている私を確認すると
「今○○してるんだよ。」と、また満足そうに作業を続けます。
ところが、
ついつい「ちょっとここ、もうちょっと○○したらこんないい感じになるかも・・」と言うと、
たちまち顔を曇らせて、
「もう! 見たらだめー!」と全面拒否です。
「あっ、しまったー!」と思いましたが後のまつりです。
本人はまだそこのアドバイスを求めてないのです。
何も言わないで、自分のすることを見ていてほしかったんですね。
身近な人、信頼できる人にただただ見ていてもらうことの安心感を積み上げているんです。
この安心感の積み上げって、じつは、年を経ても、とても大切なんですね。
素でいられる安心感、その人と心の深い所で繋がっている感覚です。
今、私は断捨離に挑戦しています。
途中で手が止まって困っていますが…
子どもが生まれたすぐの頃の写真がたくさん棚の奥から出てきました。
例によって手が止まり、長い間見とれていました。
知らず知らず微笑んで見ている自分がいました。
そして感謝の涙がほほを伝ってきました。
写真の中から子どもの声が聞こえてきます。
あの頃、何も足さず、何も引かず、かけがえのない存在としての
あるがままの私を微笑んで見てくれてたね・・・